花井梓の機嫌が悪い。
昨日連絡網のようにまわりまわった水谷発進のメールは、瞬く間に野球部員に波紋を呼んだ。
確かに花井は多少無愛想なところもあるが、分かればツンデレ的なもののいわゆる「ツン」の部分で
心の奥底に眠っている「デレ」があるからバランスがとれていたわけで。
去年の4月からタップリかけてそれを把握してきた部員には大問題だった。
花井キャプテンが、ツンツンしている。
ツンツンとか、ぶっちゃけそんな可愛いものではなく!!
ロッカーのかなり下のほうに、昨日まで無かった筈のシールを見つけたのは栄口。
「それどうしたの?」
と聞くと、花井は黙って端をツメでこすり始めた。
当然、綺麗にはがせるハズもなく。まるで何かを取り払うみたいに、何度も何度も色んな場所から爪を立てた。
なのに消えない。こびりついて汚くなっただけ。
なんか怖いんですけど!!!
涙目で水谷が花井のいないところで泣きつくと、部員全員同意せざるをえなかった。
今日はさんもいないし。
もう、これじゃ癒されないじゃないのさ!
Thank-you Smoking.-----4
あははは、と聞こえる笑い声に、正直胸がムカムカする。
「今日はさん来てるみたいだな」
阿部のなんとなくの発言に、全く反応しない・・・いや、しようとしない花井に違和感を感じる。
もしかして・・・機嫌悪いのって・・・。いやいや、意味わかんねーし。
今の現状どう考えても、例えば百歩譲って年上のお姉さんに花井がいきなり恋愛感情を抱いているとしてもだ。
昨日会えなかったんだから、今日は嬉しそうな顔をするはずであってそんなコワイ顔をする台本ではないハズ。
よって不明確な点はあるが、原因はソコじゃないだろ、と阿部は勝手に推理した。
「ちーっす」
顔を出した阿部に、耳を疑う言葉が届く。
「よーっす、タカ」
「は?」
ポカンと口をあけた阿部は、自分の事だと分かるまでどのくらい時間を要しただろう。
一瞬でもありとてつもなく長く感じるのだが、それはあまりに突拍子もない田島のひらめきからだった。
「ユーが下の名前で呼んでって言うからさ」
ああ、タカって阿部の下の名前ね。顔を向けない花井が嫌でも耳に入ってくる会話を必死で冷静に受け止める。
「ユーって?」
「俺だよゲンミツに!」
ニッカーっと笑った田島はもうすっかりがお気に入りのようだ。
「泉君はかわいいからコーちゃん」
かわいい、にぎゅっと心臓が縮こまる。誰にでも言うんだ、可愛いって。あんだけしんどかった俺ってなんなんだろう。
「三橋は?」
「レンレン・・・はダメなんだよねー?だからレン。ねー?レン」
「ぅ、ん!」
三橋の頭を事も無げに撫でるに、吐き気を覚えた。嫉妬?やめてくれ。死にたいわ、そんなん。
「水谷君はフミキでいいの?」
「うん!いいっす!」
「栄口君はユートピアって呼びたかったんだけどダメって言われてさあ!」
「ユートピアって!」
あの子の笑顔は極楽でしょーと盛り上がる取り巻きを、花井は見ていられない。見てもいられないなんて、どうかしてるよ、俺。
イライラは募るばかりで、一人早く部室に向かった。後ろでは、聞こえたくもない声が聞こえる。
「んじゃ花井はー?」
その声に、ドキっとする。ギクッに近い?もう、どっちでもいいどうでもいい。だからこうゆうの、なくなって欲しい。
「花井君は・・・下の名前」
なくなってほしい。全部なんもかもなくなって欲しい。恋なんて早すぎる。馬鹿すぎる。
ただの憧れ。幼稚園児が担任の先生を好きだって思うような感覚。
なのに、そうじゃなきゃ困るのに。
「梓だよね」
したのなまえでよばれたい。
息が出来ない。
「あーソレNGです」
無常な泉の声まで聞こえてしまって、頭ん中引っ掻き回される。
「えーなんで?」
「下の名前で呼ぶの、お袋さんでも嫌がってんスよ」
「マジ?」
「マジっす」
じゃあ花井君のままでいいかな。
ああそうしてくれ。そっちのほうがいい。
これ以上近づいて、おあずけされてる犬みたいになんのゴメンだし。そんな考えが浮かんで
おあずけって、俺、そんなふうに思ってんの?って、心底自分が嫌になった。
出会って3日。いい加減にしろ、クソ。
「花井君、ちょっと来て」
痺れを切らした百枝が花井のピッチング練習を中断させるまで、さして時間はかからなかった。
呼ばれた事にギクギクしながら、花井は黙って百枝の傍に駆け寄る。
途端、バン、と顔を叩かれた。頬を平手打ちとかじゃなく、真正面から、パーが降ってきた。
「ぶっ」
「きのーからおかしいよ、キミ」
まっすぐ見つめられる強い視線に、思わず目をそらす。
「んな事・・・」
ないです、とは言えない。鋭いモモカンでなくても、昨日からチームメイトですら自分に気を使っているのが分かるくらいだ。
「すいません」
素直にキャップを脱いで頭を下げる。夕日に、頭の汗がキラキラ反射する。
どうせ花井は素直に謝ってくるだろうと予想していたモモカンは、しょうがないな、と溜息をついた。
「ちょっと頭冷やしてきなさい」
「いやっ・・・すいません、身が入ってないのは謝ります」
「そうじゃなくて」
「じゃあっ・・・」
「あのねー花井君」
穏やかな百枝の表情に、と同じように何かを見透かされているようで怖い。
「人間なんだから、そんな時もあって当然だよ?」
「・・・はい」
「悪いことじゃないでしょ?私はあなたたちに人間らしさ失ってまでボール触って欲しくないよー」
「・・・・すいません」
「あやまんない。調子悪い時は何やってもダメだし、だったら早く直したほうがいいでしょ?」
「・・・・」
まったくその通り。正論過ぎて何もいえない。
「校内ブラブラしてていいし、帰ったってかまわない。今日はそうゆう日ね、わかった?」
「はい!」
夢中で頭を下げた。正直、嫌な意味でがむしゃらにバットを振るのはとても辛かった。
花井はモタモタと服を着替えた。多分、今日はこれ以上練習はムリだと、ちゃんと冷静に判断したし百枝も笑顔で「明日ね」と言ってくれた。
駐輪場にさしかかり、バッグから自転車の鍵を手探りで探す。
その時、一度だけ見た事のあるオリーブ色の小さな車の陰で、がしゃがんでいるのが見えた。
正直、今一番会いたくない。
眉間にタップリ皺を寄せた花井は、静かに自分の自転車に手をかける。
鍵を入れてぐっと押し込むと、開錠の音が静まり返った校舎裏に響いた。
「はっ・・・はないくん?」
振り向いたが、泣いていた。
「・・・、さん?」
なんで腕なんか掴んじゃったんだろう。
なんで黙ってほっとかなかったんだろう。
なんで、分かってるのに足つっこんで
動けなくなってもがき苦しんで
溺れて、息が出来なくなる。分かってるのに、頭では分かってるのに
経験した事のないソレの苦しさをまるで求めてしまうように、ずぶずぶ深みにハマっていく。
好きって、こうゆう事なのかもしれない。
出会って3日。
自分にだけ、笑ってくれて、26時間と少し。
俺がを好きになるまでの時間は、たったそれだけでよかった。
<BACK
NEXT>