「今日遅くなるから」
短くそう言うと、電話の向こうで母は一度だけ「え?」と言った。
「友達んちで勉強してるから帰るの遅くなる」
心の中で何度も繰り返しただけあって、あっさり吐かれた嘘に違和感も感じず、わかった、と返事がかえってくる。
通話が終わって一息ついた花井を、はニヤニヤしながら見ていた。
「ヒヒヒ。この不良っ」
あなたが原因でしょーが。とは言えない。
電話をかけろといったのも、そもそもだし。
Thank-you Smoking.-----15
コンビニで嫌というほど飲み物と食料を買い込む。なんとなく気づいてはいたが、はどうやらお金に無頓着らしい。
「貯金とかしてます?」となにげに聞いてみたら「あげないよ」とだけ返された。あるのかないのかサッパリわからない。
それから車でたった3分の距離の小さなマンションでエンジンは止まる。敷地内の駐車場に車をとめると、はふうーと大きな息を吐いた。
「あ、ゆっとくけど」
「はい?」
「掃除してないから覚悟しといて」
「・・・はい」
そういえば、に出会う前まで大人の女の部屋はきれいなものだと思い込んでいたなあ。そうボヤっと思いながらについていく。
開かれたドアの向こうに広がる景色は、まぁお世辞にも綺麗とはいえない部屋だった。
「ふいーーー」
ドタ、とソファの上に倒れこんだ。部屋にはのタバコの匂いが染み付いている。
「あ、座って」
電気をつけてテレビをつけ、エアコンのスイッチを入れたはコートを脱いで無造作にソファにかける。
花井は一瞬戸惑ったが、テーブルの上に買って来たものを置くと床の上に座り込んだ。
「そこでいいの?」
「あーーーーハイ」
わかってんのかなこの人。わかってねぇのかなこの人は。
青春代表の高校1年生が、好きな人のおうちにお邪魔しちゃってるんですよ。時刻は7時30分を少しまわったところですよ。
もう、夜ですよ!外真っ暗ですよ!緊張するに決まりまくってる。
そんな花井を尻目に、は袋からチューハイを取り出すと1人でカンパイの音頭をとってゴクゴク飲みだした。
「ぷはーうまい!!」
そういえば今日、車の運転のおかげで全然飲んでなかったんだ、と思い返す。花井は黙って袋からアクエリアスを取り出した。
だらだらし始めたにドキドキしながら、部屋を見回す。片付いているとはいえないが、見た事ない雑誌のバックナンバーは
何種類も綺麗に並べられている。
「これさんが載ってるんすか?」
ハイハイで近寄って、一つ手に取る。
「んー?ああ、そうだね」
もうタバコに火をつけている。ヘビースモーカーだな、と思ったら、なにやら自分をまたがれて、は寒いドアを開けた。
ピュウ、と北風が部屋に広がる。思わず身震いした花井を見てまた笑い出す。
「サブッ!」
エアコンつけてんのに窓あける??理解不能!!見上げると、やけに真剣な目で、がこっちを見下ろしていた。
寝転んだせいで乱れた髪が少し、そそる。
「あたしさあ」
「・・・なんすか」
「タバコ我慢できないんだよね」
あんなケムリがクセになるなんて、やっぱり花井には理解できない。普通ケムリがくれば、人はゴホゴホと咳き込むものだ。
でも、素直に、のタバコの匂いは、の存在と同様、クセになりつつある。
「だから窓あけんの!」
ぴょん、と、は滑り込むように慣れたカーペットの上、花井の横にぴったり寄り添う。
部室でのあの日の事がフラッシュバックしてしまって、脳が破裂しそうだった。この心臓の音が伝わりはしないかと不安になる程に、近い。
「・・・意味わかんねー」
やっとこさ搾り出した言葉に、一瞬はキョトンとしたがまたタバコに口をつけた。
冷たい風が頬を撫でる。
「複流煙とかあるでしょーが。」
微々たるものだとしても、やっぱり高校球児にソレはマズいでしょー、と笑った。
話をそらすように、花井は雑誌に目を向ける。さっきから背中に当たるの背中が、むずがゆくて仕方ない。
「あ、これ、すっげーきれい」
「ん?」
振り向いたの顔が顔にスレスレで、ああもう、やっちまおーかなみたいな光がドアの向こうから漏れる。
畜生。あおられてる。俺がどんな気持ちか知って・・・・
「あの!」
そう言って振り返った瞬間、肩に乗った頭がズルリと落ちて、途端、背中に一点の狭く、しかし非情に確かな痛みが走る。
「うおああっち!!」
体をのけぞらせると、ボタン、との小さな頭が絨毯に吸い込まれて。
「・・・さん?」
マヌケな声を上げた花井の目の前で、すぴー、と能天気な音を立て始めたに
花井は絶望的とも言えるほど口をポカンとあけて複雑な顔をした。
―寝てる!!!
さすったシャツの背中、指が素肌に触れる。あ!穴開いてる!!あ、さんタバコ持ったまま!!!えっと、灰皿灰皿!!!
うっわ、もしかしてコガされた?マジかよ!?
「しんっじらんねえ!!」
心底そう言い切ったのに。花井は始めてみるの寝顔に、顔を真っ赤にしていて
どこか喜んでいるようにも見えて、とても滑稽だった。
カチャリ、と小さな音を立ててそのドアが開かれると、どの部屋より強いタバコのにおいがする。
手探りで電気をつけると、6畳ほどの中に真っ白なパソコンと簡素なベッドと窓だけがあった。
寝室と呼ぶには少しためらわれるくらい、ベッドの上にも膨大な量の紙が散らばっている。
コートをかけられたは、素直にリビングで寝息を立てている。そういえば昨日電話で16時間起きてるとかなんとか言っていた。
もしかしたら、寝てなかったのかもな。それなのに俺との約束ちゃんと守ってくれて・・・ありがたいな。
ぐっとこみ上げる感情を抑えながら、とりあえず捨てていいのかどうか分からないので紙をまとめ始める。
何かのコピーやエンピツや、FAXや、こんなに散らかっていたら探すのも一苦労だろうな、と
その一苦労にあたふたするを想像して、少しニヤつきつつ手を進める。
とりあえずベッドの上と床の紙をあつめたら、5センチという恐ろしい厚みになって花井はちょっとだけひいた。ちょっとだけ。
見回して、どこにそれを置くか迷う。床に置いたらけり倒すかも知れないし、となれば。
唯一の高台となっているパソコンの置かれた机にソレをドサッと置いて一息入れると、部屋に戻る。
「うわ、かるっ」
花井はを軽々しく抱き上げると、一生こうしていたい衝動を抑えながら先ほど片付けたベッドにおろした。
スウスウと気持ちよさそうに眠るに、ふにゃりと笑顔がこぼれる。
そこでがおーってならないのが花井で、いそいそとリビングに戻ると
買ったものの中から冷蔵庫に入れるものと入れなくていいものを分け、これまた簡素な冷蔵庫に手をかけて
一瞬目を疑った。
冷蔵庫に張られた一枚の写真。
出会って2日目。の事をサボりのチャラ女だと勘違いしたあと、過ちに気づき真っ赤になったグラウンド隅のベンチ。
その瞬間の自分のあの顔が、そこにはあった。
なんでだろう、泣きそうになって
それでもいちいちジュースや何やらを冷蔵庫にしまって
花井は息が上がりそうなほど心臓をばくばくさせながら、そっと、リビングの明かりを消してのベッドへ向かった。
「さん」
ちいさな声にもちろん反応するハズもなく、は実に無防備に眠っている。
花井は携帯を取り出し、そっとアラームを3時にセットした。決定ボタンを押すと、これでもかと心臓が早くなる。
さん。俺、帰んないけど、いいですか。
そろそろとベッドに腰を下ろし、起こさないようにに寄り添う。
片腕で布団を引き寄せて、とてつもなく不器用に、の肩に手を置き、散々迷った挙句引き寄せれば
いとも簡単に、が腕の中で寝息を立て始める。髪についたタバコの匂いが、鼻先をくすぐる。
しんでしまいそうだ。
「ん」
ぎゅっと、の腕が背中にまわってくる。
花井は精一杯唇をとんがらせて、つむじにキスをした。
ぎゅってしてくれる?
そういわれたあの日からどれくらいたったんだっけ。
さん。
俺、あなたを、抱きたいです。
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