「おにいちゃん、着替えここにおいとくからねー」
「あー」
いちいち嫌な言い方。返事をする扉の向こうで、母は朝帰りをした梓のために着替えをワゴンの上に置いた。
脱ぎ捨てられた、またしても見た事のないシャツ。いったいどこで買ってるの?聞いてもきっと言ってくれないから、聞きはしないけど。
のん気・・・かどうかは知らないが、シャワーを浴びている彼の服をぽいぽい洗濯機に放り込んでいく。
ズボンは洗濯するかどうしようか、と手にとった矢先。慣れない匂いが鼻を突いた。
Thank-you Smoking.-----18
やっぱ緊張するのはいなめない。夢のような昨日を終えて、ラブレターをようやく開封した花井が見たのはすごく女の子らしいかわいい文字で
「体育館裏にきてください」と、小さな恋心が踊っている。
やっぱ返事するべきだよな、と昨日と一転した誠意を見せた花井に、何故か水谷は安心して、そうだよ!と賛成した。
誰も知り合いではなかったが、篠岡が昼休みにそっと体育館裏に呼び出してくれて
想像よりずっとかわいい子だな、って、第一印象はそんな感じだった。
きっとがいなかったら。付き合うまでいかなくなって、きっと嬉しくてドギマギしてるに決まってる。
でも今あるのは告白の緊張だけで、他の邪な気持ちは皆無。ぜんぶ、と、セックスのせいだとおもった。
セックスしても何も変わらない。
確かに、街も人もチームメイトもいつもと同じ。きっとさんだって、今会っても特に変化なんかないだろう。
でもどこかちがう。チンコじゃなくて、胸がムズムズするような。なんだろ、なんて言えばいいんだろ。
さんなら、わかるのかなあ。この感じ、文字にすることができるのかな。
「俺、好きな人いるから、ごめんなさい」
そう告げると、何か期待を抱いてしまっていたかもしれない女の子の大きな瞳から涙が流れ出す。
あーあ、泣かせちゃった。校舎の見える位置から野次馬的に花井を見守っていたらーぜ達が、ひやかしみたいに呟いた。
「けっこーかわいーのに」
「ねー」
「アレかね、さんに操たてちゃったんかね」
水谷君?操って意味わかってる?付き合いでノコノコついてきていた栄口が軽く突っ込んだ。
「きのーそっこーで帰ってったしな。俺花井君は?って何人に聞かれたか。」
「え、俺も聞かれた」
「あ、昨日は間違いなくデートだよ、さんと」
「え!!??マジかよ!!超ズリイイ!!!」
「ほんと、聞いたし。なー阿部?」
おしゃべりクソレフトが次の瞬間凍りついたが、原因の阿部はといえばひとにらみしただけだ。
「まぁ、いいんじゃね。期待させるよりは」
「期待ぐらいさせてほしーけどね俺は」
「まー、どっちも分かるけど」
口々に勝手なことをほざきながら、見つからないうちに教室へ戻った。
まだ日の照らない校舎裏には雪が積もっている。
「はないっ・・・クン」
「え?」
「その人、と、付き合ってるの?」
大人って付き合ってなくてもそうゆうことするのかな。
その発言は、鉄板のイコールで「俺昨日さんとセックスしたんだけど」だったので
それはもう、球児たちはにわかに部室で色めき立った。着替えている場合ではない。
「は!!??」
栄口が真っ赤な顔で振り返る。当然、そこまでだったとはつゆ知らずだった阿部と水谷もアゴを外しかける。
「おま、、さんと・・・」
「え?」
花井君ってバカだったんでしょうか。賢い子だと思ってたのに・・・。
は、と気づいた花井は途端に顔を真っ赤にする。
と出会って、こんな気色悪い花井を見るのにいささか慣れすら感じてしまっている事が嫌だ。
「ちょ、おま」
「はないーーーーマぁジかよおおお」
「んなこと言ってねぇだろ!!誰も、や、やったとか言ってねぇ!」
「うわー花井・・・大人」
「ちげーよ!!」
「き・・・きもちよか・・・?」
「だあああああああああうるせえええええええええええええええ!!!!!!!」
バタン、と揺れるほど乱暴にロッカーを閉める。上に乗せたスパイクの金属がカタカタと小さな音を立てた。
「とにかく、べつにそうじゃねぇからな!!」
「あーはいはい」
よく考えれば唯一どっちでもいい阿部が小指で耳を掻きながら、気まずさに耐えかねて出ていった花井を見送ったのだった。
確かに我らがキャプテンがセックスしたのは興味深いかもしれないが、付き合ってれば・・・しかも相手が大人なら当然の流れだし
べつに自分が童貞じゃなくなったわけでなし。あれ、ちょっと負けた?いや、負けとか・・・なんだこのちょっと敗北感。
その日、ストレッチの時に田島が背中を押しながら言う。冷え切った土が腿を冷やしていくようで、冷たい。
「なー花井」
「あー?」
「のおっぱい、柔らかかったー?」
「っ・・・・・・・・・!!!田島ァ!!」
「わーごめんごめん!」
幸い今日はグラウンドが広く使える日。ピンチを想定した練習を開始し、皆がそれぞれ自分の守備に入る。
今日はバイトが遅くからだという浜田をサードランナーに入れ、百枝の合図で彼は全力でホームへ駆け出す。
一連の流れを見守りながら、まったく、冬の日の短さにはまいったなあ・・・と溜息をついた瞬間
「監督」
振り向くと、篠岡が遠慮がちに片手を出していた。
「どうしたの?」
「あのー・・・」
チラリと横へ流れた視線に促されると、物陰から隠れるように手を振っているのが見える。
「あっ・・・」
「シ!!」
2人が人差し指を唇に当てる。どう見ても、片方は・・・花井ママだ。
かろうじて空気を察した百枝は、「ちょっと抜けるね。あと4回やったらアップしてオニギリ」
と残し、とてもいい返事を聞いて物陰に足を進めた。
「どうしたんですか?」
練習中、父兄が訪ねて来たことなんかもちろん一度もない。
「まさか、おうちの方が?」
という心配は、全力で振られたきく江の手によって否定され、安堵の溜息を漏らす。
「じゃあ・・・花井君の事で?」
促されるように、きく江はコクンと小さくうなづいた。
「お、お家で何か?」
「いえ・・・あの〜・・・」
「はい」
「あの〜・・・・」
そして、超絶歯切れ悪く、きく江が語ったのは、色々まとめてひっくるめてシンプルにすると
「最近息子が変」ということだった。
「変って言うと・・・」
「あの、雨の日なのに帰りが遅かったり・・・」
三橋さんのところに確認とったりしても、とっくの昔に帰って来てるって言われるし。
「見た事もない服着て帰ってきたり・・・」
百枝の脳のはじっこに、あいつの顔が浮かぶ。
「それに、晩御飯いらないって言ったり!私、あの子がおなか一杯外でご飯食べてくるほどお小遣いあげてないです!」
あー。百枝が脳内で予想を確信に変える。
「それに、それに・・・」
「まだ何か・・・」
「あの子、今日、朝帰りしたんですよ!!」
・・・・・・・・・・・・・・!!あんのバカ!!!
我ながらすごい女優っぷりだったんじゃないかと思う。
「大丈夫、花井君が不良になったりとか、絶対ありませんから!練習はおかしいとこもないし安心してください!」
どの口が言うんだか、まったく呆れるというか尊敬する。
きく江はと言えば、すがるワラでももらったかのように顔をぱあっと明るくし
「本当ですか?安心しました」
と、笑顔で帰っていった。ここに来た事は息子には絶対黙っててください、と念を押して。
「もし何かあったら、言いますから」
百枝もそう見送り、練習に戻った。言えるくらいの事態だったらいいけど、と思う。
グラウンドではもうオニギリに手をつけ始めているようで、雑談や笑い声が耳を掠めていく。
「花井君」
「はい!」
もし百枝が甘夏かバットでも手にしていたら絶対全速力で逃げていたが、手ぶらだったので花井はノコノコついていく。
先ほどきく江と話したばかりの同じ場所で、百枝は口を開く。
「で?は元気?」
「は!!!???」
あーあーあーあー。そのリアクションだけで、全部バレちゃうよ花井君。百枝は呆れながら溜息をつく。
「花井君・・・あのねー」
「あ、あのっ俺は!!あのっ」
必死すぎる花井の言葉とも言いづらい声を右から左へ受け流すと、百枝はフン、と鼻で溜息をついて切り出した。
「あのね花井君。好きな人が出来るのは当たり前だと思うの」
「・・・」
「高校1年生でしょ?普通、当然。野球が恋人ー・・・じゃなくてもいいと思うし」
まぁそれならそれで一向に構わないのだけれど。
「でも、お母さんに心配かけたらダメだよ」
ここまで言われても、母親に何か聞いたんだ、まで頭がまわらない花井は
若干疑問は残るものの、はい、とだけ返事をした。公認になったのかな、と一瞬浮かんだときは、流石に調子に乗りすぎだと自制したが。
「心配かけないって約束してくれる?も多分、そうゆうのいやだと思うよ」
「あ・・・・はい!」
「ヨロシイ。行っていいよ」
「っした!」
去っていく背中を見守りながら、ふう、と息をついて百枝は自分の荷物の置いてあるベンチまで戻る。
携帯を取り出し、アドレス帳を開きながら思う。まさか、こうやって野球以外のこと(しかも恋愛!)で手を焼く日が来るなんて。
そしてまさか、その第一号が花井君だなんて。苦笑しながらを検索する百枝の顔は、どこか少し嬉しそうに見えた。
「お茶でもいいー?こないだ取材でもらったおいしいのがあんの!」
「あーいいねえ」
百枝はコートを脱ぎ、適当にソファにかける。この部屋を訪ねるのは初めてだった。
後ろでカチャカチャお茶の準備を始める音が聞こえて、ふとテーブルを見るとアルバムが乗っている。
黙って開くと、真っ先に自分たちのグラウンドが目に飛び込んできた。
「あー、ありがとね、OKくれて」
「え?あ、ううん」
顔を上げると、トレイに急須と湯のみを乗せたが立っている。
テーブルの上に置くと、カチャ、といい音が響いて、緑茶が鼻をくすぐる。
ページを進める百枝の向かいに座ったが湯のみにお茶を注ぎ始めると、もっといいにおいが広がる。
「これは?」
「んー?ああ、ジャカルタのスラムだよ」
「・・・こわくないの?」
「その子らのどこが怖いの」
「あはは、そうだね」
確かに、可愛い笑顔。でも少しだけ背景に目を向けると、ゴミの集積所で、やはり自分がとなると自信は無い。
「あ、おかし食べる?」
「え?いいよいいよ」
「昨日取材でさくらもちもらったの。おいしいよ」
「・・・ってもらってばっかだね」
「たすかってますわ」
悪びれることなくそう笑ったを見て、こうゆうとこがなんだと思う。
きっと誰もが何かあげたくなっちゃうんだろう。
監督をやっている、と言った瞬間、じゃあ写真撮らせてなんでも手伝うから、と懇願され一発でOKしてしまった自分もまたしかり。
美味しいお茶だな、とノドをならした瞬間、三橋が飛び込んできて慌てて飲み干した。
見慣れた、しかし最高のベストショットが何枚となく続いていく。頭の中にある本人たちの顔と重ねながら、色々発見したりする。
「写真っておもしろいね」
「だねー。でも言葉ももっと面白いよ」
「言葉?」
「そう。出てった瞬間誰か幸せにしたり傷つけたり。写真もだけど、やっぱあたしは言葉が好きだな」
「あー・・・」
なんとなく、分かる気がする。顔を上げると、ニコニコ笑顔でさくらもちを食べながらがこっちを見ていた。
「・・・何?」
「自分の写真見てる人の顔見るの好きなんですよ。」
「・・・へえ」
珍しく少しだけ照れた百枝が照れ隠しにさくらもちに手をかける。普段あまり食べないそれは、おいしいなと思った。
「コレ出すの?」
すっかり堪能した百枝がアルバムを閉じると、ぬるいお茶をゴクゴク飲んでいたのノドの音が止まる。
「出す・・・ってなに」
「え?ああ・・・写真集とかにすんのかなーって」
これだけうまくまとまっている写真を見て、その想像は容易だった。しかし、は大層驚いたように目をまん丸にする。
「ま・・・・・っさかあ!!」
ケラケラ笑い始めた彼女に、百枝がキョトンとしてしまう。
「んな金ないっすよ!」
そう言うと、タバコに火をつける。窓はいつの間にか開いていた。
「あ・・そうなの」
「そだよー。スポンサーもいないしさ」
さすがに自費出版するほどお金もってないっすよ。
そういいながらタバコを吸うに、あーそうなの、って少し残念そうな顔をされたので
今度はこっちが照れてしまって、がば、と百枝のヒザに抱きついた。
「まりあー」
「え?何?」
お茶を吹きこぼしそうになって慌てた百枝のヒザに頬をスリスリしながら、は言う。
「んー大好き!ありがとお」
子犬みたいなその仕草。まったく、高校時代と変わらないな。
反射的に彼女の頭を撫でると、は少し黙ったあと百枝を見上げた。
「で?」
「え?」
「花井君で何の話?」
そのきゅっとした笑顔に、負けないくらい凛々しい笑顔を向ける百枝。まったく、他人から見れば映画のワンシーンのようだ。
「わかってんの」
「んーーーーまぁ」
ぱ、と離れると、チョコンと正座して・・・だらりと下げられた頭は、謝っているようにも見えた。
「さすがに朝帰りは・・・やりすぎた」
自分から聞き出してきたクセに、知った経過は知らないが百枝の言いたいことは全部分かっているようだ。
「気づいたらバクスイしちゃってて・・・送りそこねちゃったんだ」
セックスうんぬんかんぬんははぶいてみる。百枝が気づいているのかどうかは正直どちらでもいい。
「連絡させなさいよね」
「ごめんよう」
下唇を出して眉をゆがめる。ワザとらしいが、これが彼女のめいっぱいの反省の顔なのだ。
「花井君のお母さん、心配してるよ」
「あー・・・だよね。どうしよ」
「まあ・・・今日注意しといたから、大丈夫だとは思うけどさあ」
「・・・お手数かけます」
「ほんとだよ」
それから関係のあるようなないような話をしたあと、時計が11時をまわったのを確認して百枝は帰り支度を始めた。
手土産にもらったさくらもちとアイちゃんの写真に、笑顔がこぼれる。
「で?付き合ってるの?真剣に」
その唐突な質問にもひるまないで
は少しだけ困ったような、嬉しそうな、そんな顔で笑った。
「花井君次第、ですよ」
そんな判断、あっちに任せるなんて。
「ドS」
「ちょ、まりあ」
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