件名:無題
本文:今日時間ある?
花井梓16歳が、今日一日幸せな気分でいられる理由はたったこれっぽっちでよかった。
Thank-you Smoking.-----19
練習が終わったら、いつもなんだかんだで部員全員が去るのを待って鍵を閉めている。
でも今日は事情が違う。深く聞かない(それは彼が察しているから)阿部にちいさな部室の鍵を渡して自転車をこぐ。
待ち合わせのコンビニまであと5分。白い息が、顔にかかっては消えていく。
オリーブ色の車を見つけ、自転車を隅に止めてのぞけば、コクコクと顔を揺れ動かすがそこにいて。
ずっと見てはいたかったけど、少しためらいがちに窓をコンコン叩くと、すぐ彼女は顔を上げた。
笑っている。俺に。
おなかへってるよね。すぐ終わるから。
小さな公園外の路上に車をとめたは、自動販売機でホットコーヒーを2つ買ってひとつを花井に渡した。
着いて行くと小さなベンチを見つけて、そこに腰をおろす。
「つめたっ」
ケツ冷える、と笑ったが手招きする。俺に、こっちに来いって言ってる。そんだけで飯100杯はいけそうだと思うと
どんだけ好きなんだよ、と思った。たった一度だけ、昔した恋とは話が違う。よくある単純な片思い。
かなわなかったからといわれたらそれまでだけど
が自分の初めてでよかった。初めて勇気を出した相手が、でよかった。
なんだって「はじめて」はプレミアだ。レアだ。貴重だ。
それ全部、と、になるんだったら。あのとき勇気を出さなかった自分にすら感謝したい気分。
息が白くなって何メートルも先のライトがぼんやりとにじむ。
微妙な距離をとって座った花井を見て、はプッと噴出した。
「・・・何すか」
「何すかこの距離」
「え?」
ためらって顔を赤くした可愛い花井をまた少し笑ったあと、はその長い足を掴んでぐっとこっちに引き寄せた。
「寒いよ、花井君」
「あー・・・・・・・・・・」
ドクンドクン、心臓がうるさい。耳にまで届く、自分の心臓の音に一層ためらいを見せながら
花井は意を決したようにをぎこちない手つきで後ろからぎゅっと抱きしめた。
よろしい。そんな声が聞こえたような、聞こえなかったような。多分、の心の声がうつっちゃったんだ。うわ、キモい俺。
「今日は練習どうでした?」
シャンプーとタバコの匂いが鼻にあたる髪の毛から漂ってきて、クラクラする。このまま死ねる。死ねないけど。
「フツーっす」
「フツーかぁ」
ふんわり香ってきたコーヒーの匂いに気づき、花井もごしに缶を開ける。もう、少しぬるくなっている。明日は雪が降るかもしれない。
ぬるい温度とあまい味が、ゆっくりとした時間を運んでくる・・・わけにも、今日はいかないようだった。
「あと10分」
小さな腕時計を見て、が宣言する。あと10分?あと10分で今日は終わり?
「え?」
戸惑う花井に振り向く。顔近いな・・・キス、したいかも。
ぎゅっと抱きしめられた感触に、慌ててコーヒーをこぼしそうになるのをなんとか抑えて。
どうしようもなく、首を伸ばす勇気もない花井が唯一届いたこめかみにキスをすると、くすぐったい、と彼女は笑った。
「今日はねー・・・すぐ帰すよ」
「・・・なんでっすか」
「んーーーーーーーーーーーーーーー」
たっぷり時間をおいて、コーヒーをひとくち飲んで。は花井の手を握り、冷たい指を絡ませた。小さな手と、大きな手。
感じる熱やとっくに聞こえてしまっている心臓の音、足りないくらい少ない彼女の重み。
その全てが、今ある、花井の「しあわせ」。幸せは見えないしカタチが無いっていうけど
あんなんウソっすよ。だってほら、俺のしあわせのほとんどを持ってる、存在が目の前にいて
冷たい手から暖かい気持ちをくれる。うそくさくて当たり前だけど、これだけはハッキリ言えた。
「花井君さあー・・・反抗期なの?」
「は!?」
当然、そんな恥ずかしい事実をはいそうですと認めるほど大人なわけでもなく。
「な・・・なんすかソレ」
「んー?んー・・・いや、あのさあ」
頭が少し動くたび、唇に髪の毛が触れる。キスしたいな。髪の毛でもおでこでも頬でもいい。でも、できれば・・・。
俺とさんって、もう、「恋人」なんだろうか。
が好きでもない男とセックスするとは思えないし、実際直接ではないにしろ「好き」という言葉を頂戴した。
いいんだろうか。今日告白してきたあの女の子にも、他の部員にも、赤の他人でも。この人は、俺の彼女です、って、言っていいんだろうか。
いえたら最高に幸せだ。さんが俺の彼女なんて、世界中に自慢したいくらい。
かざしたい、所有権。
「花井君の歳なら仕方ないけどさ・・・あたしもそうだったし」
「え?」
ハッと現実に引き戻された花井のマヌケな声を聞いて、はクスクス笑う。
笑いながら、言葉を続ける。今日はこれを言いにきたんだから。
「会いにくくなっちゃうよ?花井ママに心配かけちゃったら」
だからこっちも気をつけるから。べつに自分と付き合ってるって言わなくてもいいからせめて―
「じゃあ」
顔をあげると、すごく近い距離で、花井の顔が赤い。
「いいんスか・・・彼女、って言って」
なんでそれが「じゃあ」になるのかはいささか理解に苦しむところだが、そんなくだらないような、でもとても彼にとって重要な。
そんな事を、今考えていたんだろうなあと思うと。自分の話聞いてないどーのこーの差し引いて、愛しいな、と思って、つい、キスをした。
ムニッとあたった唇の感触に。ボーゼンとする花井の腕をスルリと抜けて、は立ち上がりニカっと笑った。
「いーんじゃないっすか!」
「え」
「花井君、あたしの彼氏になってくれんだ」
痛感する。は、きっとそのカオで世界中幸せにしちゃうんだ。
日本もアメリカもフランスもイギリスもスラムもビバリーヒルズも、世界中の行った事も想像したこともない国も全部
つられて笑っちゃうに決まってる。
「むちゃくちゃ好きっす」
まっかな顔で必死につむぎだした花井の言葉を、はていねいに一粒残さず拾い上げて、おいしく食べた。
「さーかえろ。コンビニまで送るぞ」
「さん」
「ん?」
「歩きませんか?コンビニまで」
花井から握ってきた手は汗ばんでいて、最上級、愛しかった。
売り言葉に買い言葉だった。
またしてもタバコの匂いをさせて帰ってきた息子に、誰もいないのを見計らって母は話を切り出す。
くらいになれば微塵も気づかないが、やはりあの匂いは吸わない人間にとってはかなり目立つ・・・鼻立つにおいだった。
「ねぇお兄ちゃん」
「あ?」
顔も向けない。いくら、誰にでも訪れる反抗期と分かっていながら・・・寂しい。
テレビから聞こえるニュースだけが部屋を包む。
「あんた・・・最近何してるの?」
ピタリと、つまんでいた煎餅の音が止まる。
「何してんのって何」
「だって・・・タバコ臭いわよ、最近」
ドクン。の顔が瞬時に浮かんで脳を支配する。
「・・・しらねーよ」
たった数時間前に、約束したばかりなのに。でも、この状況で「彼女できたんですぅ〜」ってニヤニヤするような
水谷みたいな性格でもない。(ひどいよ花井!)
「知らないって・・・あんたまさかタバコ!」
「吸ってねぇよ!!っせーな!!」
「ちょっと梓!」
「梓って呼ぶなっつってんだろクソババア!!!」
とても乱暴に閉められたドアのあと、一瞬にして静寂が広がる。
やってしまった、と頭を抱える花井梓の一枚ドアの向こう。花井きく江の目に、少しだけ涙が浮かんだ。
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